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長崎地方裁判所 昭和37年(わ)12号 判決

被告人 上野四郎 今村美千典

主文

被告人上野四郎を罰金五万円に、被告人今村美千典を罰金三万円に各処する。

右罰金を完納しない場合は、いずれも金五百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

第一事実関係

1  全農林労働組合長崎県本部、同統計本所分会の組織と被告人両名の経歴

一  全農林労働組合(以下、全農林と略称する。)は、昭和三三年八月それまで部局毎に作られていた労働組合を解散し、農林省の全職場に働く職員(但し、公共企業体等労働関係法の適用を受ける者を除く。)を以て構成する単一の労働組合として結成、発足し現在に及んでいるものであるが、組合内部の構成として、中央に中央本部があり、下部組織として都道府県ごとに都道府県本部が、その下に概ね都市単位ごとに分会が、更にその下に職場ごとに班が置かれている。全農林の決議機関としては、大会(通常及び臨時)と中央委員会があり、大会は全農林の最高決議機関で代議員及び役員で構成せられ、中央執行委員長の招集により、毎年七月(通常大会)或いは組合員の三分の一以上の要求があつて中央委員会又は中央執行委員会が必要と認めたとき(臨時大会)開かれ、組合綱領、規約等の改廃、運動方針の決定等規約所定の重要事項が決定され、中央委員会は大会に次ぐ決議機関として、中央委員並びに役員で構成せられ、大会の決議に従い、運動方針の細目的事項の決定等規約所定の諸案件についての決定を行う。全農林の執行機関としては、中央執行委員会があり、中央執行委員会は中央委員及び役員で構成せられ、大会及び中央委員会の決議に従い組合の業務を執行する。組合の役員としては、中央執行委員長、副中央執行委員長、書記長、会計長各一名、会計監査委員三名、執行委員若干名がある。

二  全農林長崎県本部(以下、県本部と略称する。)は、全農林の下部組織として、長崎県内における農林省の全職場に働く職員(但し、公共企業体等労働関係法の適用を受ける者及び食糧、統計調査の各事務所長その他決議機関において除外した者を除く。)で組織せられ、事務所を長崎市興善町(元新町)六番地長崎食糧事務所内においている。県本部の決議機関としては、いずれも県本部執行委員長によつて招集される、毎年七月に開かれる大会、委員の二分の一の要求があつた場合および執行委員が必要と認めた場合に開かれる委員会があり、大会は県本部最高決議機関で代議員及び役員で構成せられ、県本部における、規約、規則の改廃、運動方針の決定、予算、決算等県本部規約所定事項の決定がなされ、委員会は右大会に次ぐ決議機関として、委員及び役員で構成せられ、大会の決定に従い、運動方針の細目的事項の決定、規定細則の改廃等前記規約所定事項の決定を行う。県本部の執行機関としては、執行委員会があり、大会、委員会の決議に従い組合業務の執行にあたり、大会、委員会に対して責任を負う。県本部の役員として、執行委員長、副執行委員長、書記長、会計長各一名、執行委員五名、会計監査委員三名があるが、これらの役員は大会で組合員の中から代議員の直接秘密の無記名投票によつて選出される。

三  全農林長崎県本部統計本所分会(以下、本所分会と略称する。)は全農林長崎県本部の下部組織として、農林省長崎統計調査事務所本所に属する職員(但し、所長、庶務課長、調整官の三名を除く。)によつて構成され決議機関として大会、執行機関として執行委員会がおかれている。大会は本所分会の最高決議機関で執行委員及び一般組合員によつて構成せられ、毎年一回以上執行委員長が招集し、組合員の三分の二以上(但し、委任状によらない出席人員が一般組合員の過半数であることを要する。)の出席によつて成立する。執行委員会は大会に次ぐ機関として、執行委員によつて構成され、大会から次期大会までの間本所分会の意思を決定し、大会の決定事項を実行に移すとともに組合業務を執行する。本所分会の役員としては、執行委員長、書記長、会計長各一名及び執行委員三名があり、そのうち執行委員長は本所分会を代表し分会の業務執行を統轄する。これらの役員は立候補を原則とし、定期大会において組合員中より選出された執行委員の互選により大会の信任を得て選出せられる。

四  なお、全農林が全国的な要求を掲げて全国的な規模で実力行使を行う場合には、規約により、組合の最高決議機関である大会が――大会を開く余裕のない場合等には中央委員会が――実カ行使の決議をし、中央執行委員長がその決議に従い、全国に指令して闘争を行うことになるが、県本部だけが実力行使を行う場合も、右に準じ、先ず県本部の大会もしくは委員会において実力行使の決議がなされ、その決議に従い、県本部執行委員会がこれを執行する。但し、県本部が実力行使に入る場合には、全農林が単一組合であるため、県本部執行委員長が県本部大会もしくは委員会で実力行使の決議がなされた旨を中央執行委員長に報告し、同委員長は中央執行委員会にはかりその決定を得た上、県本部に実力行使に入ることを指令する。

実力行使を行う場合、戦術委員会または闘争委員会が組織されることがあるが、これらは組合規約上のものでなく、いわゆる闘争に際して具体的方策等につき関係組合員の意向を反映させるためにつくられるものである。

五  被告人らの組合役員としての経歴は次のとおりである。

被告人上野四郎は昭和三〇年四月より同年八月まで全統計長崎支部青年婦人部結成準備委員長、昭和三一年四月より同三二年三月まで同支部青年婦人部長、同執行委員、昭和三二年四月より同三三年九月まで同支部副執行委員長、昭和三二年四月より同三三年七月まで全統計九州地区協議会(組合運営の便宜上設けられた各県の協議体である)書記長、昭和三三年一〇月より同三六年六月まで全農林長崎県本部書記長、昭和三六年七月より同三七年六月まで同本部副執行委員長を各歴任して来たものであり、

被告人今村美千典は昭和三〇年二月より同年六月まで全統計長崎支部統計本所分会副執行委員長、昭和三二年七月より同三三年六月まで同分会書記長、昭和三三年一〇月より同三四年五月まで全農林長崎県本部執行委員、昭和三六年七月より同三七年六月まで同本部統計本所分会執行委員長を各歴任して来たものである。

2  本件に至る経緯

一  長崎統計調査事務所におけるいわゆる労働慣行の確認及び引継ぎにからむ紛争――九・一宣言が出されるまで――

(一) 農林省長崎統計調査事務所は農林省統計調査部に直属する下級機関として、昭和二二年五月設置せられ、長崎県下における耕地面積及び農作物の作況調査、農山漁村の統計的経済調査、その他農林畜水産業に関する統計調査等の業務を掌り、長崎市山里町三一二番地の三(本件当時の町名地番による。)に本所を置き、本所には作況調査、面積調査、経済調査、農林統計、水産統計及び庶務の六課があり、県下に二二の出張所と一つの試験地を有し、全職員数は本件当時約二八〇名で、そのうち本所勤務の職員数は七二名であつた。

(二) 昭和三〇年三月より同三五年三月一〇日(同年四月二日離任)まで農林省長崎統計調査事務所長であつた松浦忠夫は、その在職中、組合の要求に従い、同職場においてそれまで逐次とり行われるようになつていた労働条件等に関する取り扱いを一七項目に一括整理し、これをいわゆる労働慣行として確認――昭和三四年一〇月二三日付で文書化――し、更に、同人が退職するに際しては、後任の新所長に右労働慣行を確認、引継ぐ旨の昭和三五年三月一六日付書面を作成するに至つた。

右にいわゆる労働慣行とは次のようなものであつた。

(1)  事務所の運営に関して、組合の意見を誠意をもつてきき、人事、予算、業務計画等大綱は実行前に必ず組合に提出する。

(2)  組合運動に必要な事務所の器具、備品、庁舎等の利用及び組合関係用務に対する勤務時間内の就労、旅行等は年休外休暇として承認する。但し、年休外休暇承認の運用は、(イ)旅行時は年休届を提出し、事故がない場合は帰庁後取消す。(ロ)正式組合機関の出席等は年休で処理し、帰庁後適当な日にその分だけ代休を認める。

(3)  職場大会の勤務時間内の実施はその都度承認する。

(4)  組合の組織改変に伴い、県本部常駐二名を承認し、これについては超勤手当の運用等従来どおり経済的損失を与えない措置を示認する。

(5)  勤務時間は、本所、出張所とも事務所内運営により始業八時四五分、昼食時は一一時四五分より一三時まで、その他は規定どおりとする。

(6)  本所、出張所を問わず病弱者に対する対策を根本的に考慮する外、健康管理を徹底的に行う。

(7)  レクリエーシヨンタイムを一週に最低二時間以上与える。

(8)  通勤手当は各場所長の確認があれば支給する。

(9)  超過勤務手当、宿日直手当は生活給の一部として認め、超勤手当は定員内外を問わず宿日直回数等を考慮して一率パーで配分する。

(10) 特別昇給の枠はアンバラの是正に使う。

(11) 定員外職員の定員内繰入れは勤務年数の古い者の順序による。

(12) 定員外職員に対する旅費超勤その他の手当は一般職員並みに配付し、平等に支給できる運用を行う。

(13) 登録職員に対しても通勤手当を支給する。

(14) 旅費法による三等旅費適用者も運用面でその差額を支給する。

(15) 壱岐、対馬の職員の参庁に対しては運用面で一泊考慮する。

(16) 吾妻の参庁連続二日以上の場合は運用面で一泊考慮する。

(17) 独身寮母雇用に対しては当局が三、〇〇〇円を負担する。

(三) 松浦所長の後任として、早水信夫が昭和三五早三月一〇日付で赴任して来た。県本部では右早水所長に対して前記一七項目のいわゆる労働慣行全部を従来どおり引継いで尊重して貰いたい旨申し入れたところ、同所長は右慣行を引き継ぐかどうかは自己の判断によるべきであるのみならず、右慣行と称するものの中には違法、不当な部分もあるとして、これらを一律、全面的に引き継ぎ承認することを避けた。その後両者の間でしばしばこの問題について交渉が行われたが、早水所長の否定的態度は変らず、いわゆる労働慣行については暫定的に従来どおりの取扱いをすることとし、所長の最終的態度はなおしばらく職場の実状をみた上で明かにすることとなつた。

ところが、早水所長は昭和三五年五月頃、前記の労働慣行(5) の休けい時間を一方的に一二時から一三時一五分までとすることに変更し、また、同年七月頃事務所内の人事異動を行うに当つては、事前に組合に提示するという前記労働慣行(1) に反してこれをなさず、一方的に人事の発令をしようとしたことがあつた。そして昭和三六年二月二五日、早水所長は県本部委員長に対し、前記一七項目に亙るいわゆる労働慣行等について所長としての見解を明かにした、「労働慣行に対する所見」と題する文書を交付し、同時に長崎統計調査事務所の全職員に同様の文書を配付した。

県本部では、直ちに執行委員会を開いてこれを検討した結果、右文書は配付の手続とその内容において極めて不当なものがあるとして、その撤回を要求することとなり、所長との間で幾度か交渉を行つた。そして、昭和三六年三月二八日頃、全農林中央本部から派遣されてきた太田中央執行委員をも加えて交渉した結果、早水所長は、遂に右の所長所見を撤回するに至り、同時に前記のいわゆる労働慣行の改廃については個別的に組合と検討して意見の一致をみるよう双方努力しようとの申し入れをなし、組合もこれを了承した。その後両者の間で右労働慣行の各項目につき交渉が重ねられたが、前記(5) 、(11)ないし(13)および(17)を除くその余の諸項目については進捗をみられなかつたところから、早水所長の提案に基づき、そのうち(7) のレクリエーシヨンタイム、(9) の超勤手当等、(14)の旅費の三項目にしぼつて集中的に交渉を進めた結果、結局、右(14)の旅費問題を除く他の二項目については双方が譲歩する等して逐次妥協点が見出されて解決したが、右旅費問題については交渉が難航して意見の一致を見ることができなかつた。

(四) 昭和三六年七月県本部の定期大会において役員の改選が行われて新しい執行部が誕生し(被告人上野が県本部副執行委員長、被告人今村が本所分会執行委員長に各就任したことは既に述べたとおりである。)、これに懸案の旅費問題の解決が引き継がれることになつた。新執行部と早水所長との間の交渉は同年七月末頃行われ、同所長から同年八月末までに旅費問題に対する組合の最終的な見解を示すよう求められ、組合においては、充分検討した上回答することを約して別れた。その後組合では他県の事例を調査する等して検討した結果、従来の慣行を守つて一歩も譲ることはできないとの結論に達した。同年九月四日被告人上野及び大場県本部執行委員が右の結論をもつて所長と面談したが、ここで旅費問題に関する両者間の交渉は遂に決裂するに至り、翌五日早水所長は統計調査事務所の全職員に対し「九月一日以降旅費の支給は従前の例によらず、旅費法どおり実施する。」旨のいわゆる九・一宣言を表明するに至つたのである。

二  本件坐りこみが決定せられるに至る経緯――九・一宣言の撤回斗争――

(一) 早水所長の労務管理については当初より組合員の間で不満があつたが、特に九・一宣言が出されるに及んで事態はいよいよ緊迫したものとなつた。県本部では同年九月一三日執行委員会を開き、参考人として本所分会の執行委員長である被告人今村を加えて討議、検討した結果、九・一宣言を撤回させるため全力を挙げて斗うとの基本原則を確認し、差し当りその方策として、同月中旬頃から傘下の各分会にいわゆるオルグを派遣して本所での紛争経過を報告して意見を徴し、あるいは各課からいわゆる斗争委員を選出するなどして斗争態勢をつくるとともに、他方、中央本部との連絡を密にし、西川中央本部副委員長の派遣を求めて同人に仲裁、説得の労を煩わせることもあつたが進捗は見られなかつた。

(二) 同年一〇月二日、長崎統計調査事務所において、同夕から開催予定の県本部委員会に臨む本所分会の態度を決定するため、本所分会組合員約六〇名が出席して臨時大会が開かれた。同大会においては、九・一宣言の撤回要求と実力行使との当否が議題になり、被告人今村が執行部案を提出、説明したが、そのうち(イ)従来どおりの旅費を九月一日に遡つて支払わせる。労働慣行は労使双方の意見の一致をみない限り一方的に改変しないという確約書をとりかわすよう要求する。(ロ)右の要求が容れられないときは実力行使を行う。との二項目については、執行部と組合員との意見は一致したが、「九・一宣言の撤回を要求するか、どうか。」については意見が分れ、結局、分会全組合員の無記名投票を行つた結果、執行部案は否決されて、「九・一宣言を撤回させる。この要求が容れられない場合にも実力行使をする。」との修正意見が三〇票対二五票、白票二で可決されるに至つた。

次いで、いずれも長崎市内の南山手荘において、同日夜には県本部執行委員会が、翌三日には県本部委員会(第七回)がそれぞれ開かれたが、右執行委員会では、参考人として出席した被告人今村からの本所分会臨時大会の経過報告等を基に討議、検討されたところ、所長追放策を主張する見解に対して、紛争の基本的解決のためには九・一宣言の撤回斗争を押し進めて、坐りこみも辞すべきでないとする被告人上野らの見解が多数を制し、結局本所分会大会でのさきの結論が殆んどそのまま支持せられ、続いて右県本部委員会においても同様支持可決せられたのである。

(三) 第七回委員会の決定がなされて、県本部ではこれを中央本部に連絡して指示を求めるとともに、右決定に基く具体的方策、戦術を実施して行つた。そして同年一〇月七日、全農林中央本部からその頃派遣されて来た富永中央本部執行委員とともに、早水所長との間で交渉をもつたが、同所長は九・一宣言の撤回に努力し同月一一日にその最終的回答を行う旨約した。その後、同所長において各課長と協議したところ、課長等でも更に組合側と折衝してみるから回答はしばらく留保して貰いたいとのことであつたので、同所長は組合に対する最終的回答を同月一二日に延期したが、右課長等と組合側との交渉も結局物別れとなり、遂に早水所長は同月一二日午前一〇時頃、県本部並に本所分会役員らの面前において、多数組合員の期待に反し九・一宣言は撤回しないことを回答したのである。

(四) 右の回答に接するや、組合側――すなわち被告人両名の他県本部及び本所分会の各役員と斗争委員の合計約十数名――は同日直ちに統計調査事務所内の宿直室に集合し、いわゆる戦術委員会を開いて協議した結果、も早や坐りこみによる実力行使を行う外ないと確認、決定し、翌一三日から坐りこみに入ること等の具体策を検討、決定するとともに、一方坐りこみ実施につき全農林中央本部執行委員長に対し斗争指令の発出方を要請、間もなくこれを得た。

3  罪となるべき事実

被告人両名は、昭和三六年一〇月一二日午後三時頃から、農林省長崎統計調査事務所内水産作況課の部屋を使用し、国家公務員である同事務所職員竹本不二夫等約五〇名が集合して開かれた本所分会臨時大会において、さきに同事務所宿直室において決定した前記の最終方針に基き、それぞれ意思を共通にし右職員らをして所長の承認がなくとも就業を放棄して同盟罷業を行わしめようと企て、両名共謀の上、被告人上野において、所長が要求を拒否したので明一三日から坐りこみを実施する、最後まで団結して頑張り抜いて貰いたい旨強調し、被告人今村において坐りこみの方法、注意事項等を指示して同事務所職員の就業放棄方を慫慂し、引き続き、翌一三日より同月一七日まで(但し、一五日の日曜日を除く。)は出勤した職員の半数宛二時間交代で、同月一八日には全員一斉にそれぞれ同事務所玄関前附近で、また同月一九日から同月二四日まで(但し、二二日の日曜日を除く。)は全員一斉に同事務所裏庭に天幕を張りその下で、それぞれ勤務時間中の坐りこみがなされたが、その坐り込み中の同事務所職員に対し、被告人両名において、連日携帯マイクを使用する等して、交々「団結を固め最後まで斗おう」「所長が反省するまで徹底的に斗おう」「当局より一日長く頑張ろう」等と強調し、また、同月一三、一四、一七乃至一九日には、早水所長の命を受けた岡本庶務課長が警告文或いは口頭を以て組合員に対し「坐りこみは国家公務員法違反の争議行為だから即刻これを解いて職場に復帰せよ」旨命じたのに対し、被告人上野において、「我々のしていることは争議行為ではなく抗議行為に過ぎず、国家公務員法に違反しない。最後まで斗おう」 旨反駁強調して、いずれもその就業放棄の継続方を慫慂し、もつて国家公務員である長崎統計調査事務所の職員に対し同盟罷業の遂行をあおつたものである。

第二証拠の標目〈省略〉

第三弁護人らの公訴棄却の申立に対する判断

一  弁護人らは本件につき公訴棄却の申立をなし、その理由として、

(一)  本件公訴事実は、国家公務員法九八条五項、一一〇条一項一七号に違反するというのであるが、右の各規定は憲法二八条、一八条、二一条に違反する無効な規定である。

(二)  本件公訴はILO条約八七号、一〇五号に違反する無効なものである。

(三)  本件公訴は労働組合の組織の中において正式に決定せられた組合員の総意に基づく行為を処罰しようとするものであつて、民主的な労働組合そのものを否定するものである。

従つて、本件公訴事実は何ら罪となるべきものでないから、刑事訴訟法三三九条一項二号により本件公訴を棄却すべきである旨主張する。

しかしながら、国家公務員法九八条五項、一一〇条一項一七号の各規定は憲法二八条、一八条、二一条の各規定やILO八七号、一〇五号条約に違反するということはできず、また労働組合組織の中で適式に決定せられた事項であつても、その故に、直ちに国家公務員法一一〇条一項一七号に該当しないものと断ずることもできないことは、いずれも後に説明するとおりであるから、弁護人らの前記主張は採用できない。

第四主たる争点についての判断

一  国家公務員法九八条五項、一一〇条一項一七号と憲法二八条

国家公務員も国に対して労働力を提供し、その対価として受ける給与によつて生活を営むものに他ならないから、憲法二八条にいわゆる「勤労者」として、「団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利」が保障されることが原則でなければならない。しかしながら、憲法が保障する国民の自由及び権利は決して無制限のものではなく、常に公共の福祉のために利用すべきであり、公共の福祉のために制限を受けることがあるのも己むを得ないところである。右の労働基本権といわれるものも、労働者がその中の一員であるところの国民全体が調和のとれた福祉生活を享受しうるように、全体的観点から、それぞれの立場に応じた、公正且つ合理的な制限が加えられることがあるのは当然であつて、その例外でない。

そこで、国家公務員法の適用を受ける一般職の国家公務員(以下単に公務員と略称する。)について考える場合、次のような諸点が考慮されなければならない。すなわち、公務員は、外観上政府当局によつて雇用される形式をとるが、実質は政府当局によつて代表せられる国民全体がその使用者であり、また、公務員の地位、労働条件はすべて国民全体の意思により、国民を代表する機関を通じ、法律によつて決定せらるべきものであることから、本来、公務員は争議行為によつて使用者たる国民全体に圧力を及ぼして自己の地位、労働条件を斗いとる筋合のものでないと云わざるを得ず、仮りに争議行為を外観上の使用者である政府当局に対して行うものと観念し、その余地を認めるとしても、公務員の労働条件に関する事項で、政府当局が独自に決定しうる分野は極めて限られているから、それは多分に政治的斗争としての色彩をもつ争議行為――憲法の保障する範囲外のものである――となり終る場合が多いであろう。さらに公務員はすべて、主権者たる国民から厳粛なる信託を受け、直接、間接国の行政に関与しこれを行使する重大な職責を負うものであつて、その行使は民主主義の基本原理に鑑み、挙げて国民の福祉の実現に向けられ、断えずこれを目的として努力遂行するよう義務づけられていると云わなければならない。その故に、憲法自体において、公務員が、「国民全体の奉仕者であつて一部の奉仕者でない。」ことを宣明し(憲法一五条二項)、法律でも、公務員が、「公共の利益のために勤務し、かつ、勤務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない。」ことを明規し(国家公務員法九六条一項)、これに伴つて服務上、ないしこれに関連して、諸種の厳しい規制を受けるべきことが定められているのである。(例えば同法九九条、一〇〇条、一〇一条、一〇二条、一〇三条等参照)このような公務員の雇用及び職務関係自体に存する特殊性、公共性からして抑々国家、社会が存立するための大前提ともなるべき、国政の円滑な運営とそれに携る公務員秩序を維持するために、公務員の労働基本権――特に争議権――に対しては一般労働者に対する場合とは異る格別の制約を以て臨もうとすることは、公共の福祉の見地から、やむをえないこととして首肯できるのである。

しかしながら、公務員から一律且つ全面的に争議権を奪いとつてしまうことについては、さきに述べたとおり、公務員も「勤労者」であり、かつ、争議権は元来勤労条件を確保するための手段として認められたものであるから、公務員の適正な勤労条件を確保することについて争議権に代るべき配慮がなされていることを条件として、初めて許されるものと解しなければならない。そこで、公務員につきいわゆる代償措置を概観してみるに、国家公務員法はそのための機関として、ある程度独立性を保障された人事院を設け、この人事院をして法の完全な実施の責に任ぜしめ(三条)、給与、勤務時間その他の勤務条件に関する基礎事項は、国会が社会一般の情勢に適合するように随時これを変更できるよう、人事院において調査勧告を怠つてはならないこと、特に給与については毎年一回俸給表が適正であるかどうかについて内閣及び国会に報告すべきこと、給与を一〇〇分の五以上増減する必要が生じたと認められるときは、国会及び内閣に適当な勧告をしなければならないこととし(二八条)、また、服務については、公務員は俸給、給料その他あらゆる勤務条件に関し、人事院に対して、人事院又はその職員の所轄庁の長により適当な行政上の措置が行われることを要求することができ(八六条)、この要求があつたときは、人事院は、必要と認める調査、口頭審理その他の事実審査を行い、一般国民及び関係者に公平なように、且つ職員の能率を発揮し、及び増進する見地において事案を判定しなければならず(八七条)、さらに、職員に対してその意に反する不利益な処分がなされたときは、人事院に不服申立をすることができ(九〇条)、この不服申立に対しては、人事院又は所定の機関において事実調査の上、処分を受けるべき事由のないときは処分を取消し、職員としての権利を回復するために必要で適切な処置をなし、そして、この判定は最終のもので、人事院によつてのみ審査されるものとしている(九一条、九二条)。

右に概観したところによつても、公務員の勤務条件等に関するいわゆる代償措置としての制度は一応整備せられていると云つてよいであろう。尤も、被告人及び弁護人らも指摘するとおり人事院の人的構成等において自主、独立性の保障のないことや給与の勧告等が法律上国会及び内閣を拘束せず、また、現実に果している成果も必ずしも満足すべきものではないことはこれを認めざるを得ないが、その故に、人事院の右代償的機能及び制度が争議権に代るべきものとしての役割を果していないと断ずることは躊躇される。

以上のような公務員の労働関係における特殊性ないし公共性と右代償的措置の制度、役割の実状等を併わせ考えると、公務員に対し一律かつ全面的に争議行為を禁じた国家公務員法九八条五項の規定は、憲法二八条との関係において、その立法の当否の問題は別として、公共の福祉の見地からその合憲性を肯定せざるを得ないと考えられる。

そうすると、このような争議行為の遂行を「共謀し、そそのかし、若しくはあおり、又はこれらの行為を企て」た者に対し刑罰を科することを定めた国家公務員法一一〇条一項一七号の規定――刑罰法規としての合理性が肯定されることについては後に述べるとおりである。――もまた、右のような観点から、必ずしも憲法二八条に違反するものということはできない。

二  国家公務員法一一〇条一項一七号と憲法一八条

「何人もいかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪による場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」ことは、憲法一八条の保障するところである。一般的にいつて、労働者がその意思に従つて雇用関係から離脱することの自由を妨げることは勿論であるが、さらに、個々の労働者の労務放棄、その他雇用契約に違背したことを理由にこれに対し刑罰をもつて臨むことも、結局は労働者に対して雇用契約の履行を必要以上に強制し、就労を余儀なくさせることになるから、それは憲法一八条にいう「意に反する苦役に服させる」ことになると解せられる。しかしながら、右国公法の規定は個々の公務員の労務放棄自体を処罰するものではなくて、公務員が集団として行う争議行為の遂行を「共謀し、そそのかし若しくはあおり又はこれらの行為を企て」た者のみ処罰するに過ぎないものであるから、憲法一八条の規定とは直接の関連を持つものではないといわなければならない。のみならず、抑々公務員は、「その人格を無視され、あるいはその意思にかかわらず束縛される状態にあるものではなく、また、所定の手続を経れば何時でも自由意思によつてその雇用関係を脱することもできる」のであるから結局、国家公務員法一一〇条一項一七号の規定は憲法一八条に違反するものではない。

三  国家公務員法一一〇条一項一七号と憲法二一条

憲法二一条によつて保障される言論、表現の自由も、絶対無制限のものでなく、他の自由及び権利と同様公共の福祉のために調整を受け、制限せられることのあるのは己むをえないところである。そして、国家公務員法一一〇条一項一七号所定の行為は、国家公務員の前記重大な義務の懈怠を慫慂し、教唆するものであるから、かかる行為を公共の福祉に反し、憲法の保障する言論の自由の限界を逸脱するとの法意のもとにこれを処罰する旨定めた右の規定は、憲法二一条に違反するものとはいえない。(最高裁判所昭和三〇年一一月三〇日大法廷判決参照)

四  国家公務員法九八条五項、一一〇条一項一七号とILO八七号、一〇五号条約及び憲法九八条二項

(一)  ILO八七号条約(結社の自由と団結権の保護に関する条約)は、元来結社の自由と団結権の保護のための不可欠の基本原則を明らかにしたものではあるが、団結権の目的ないし本質や、同条約三条一項の「労働者団体…はその規約及び規則を作成し、自由にその代表者を選び、その管理及び活動について定め、並びにその計画を策定する権利を有する。」旨の規定等に鑑みると、同条約が労働者の争議権についてまでは言及、保障していないということはできない。(なお、ILO条約及び勧告の適用に関する専門家委員会一九五九年報告書参照)しかしながら、同条約は公務員――特に国の行政事務に従事する――の争議権については言及することを避け、むしろ制限あることを当然の前提として、その処理を各加盟国の国内的法制に委ねているとみられるのである。すなわち、前記の専問家委員会の報告書は、「特定のカテゴリーの労働者で構成する団体は、その活動能力の点からみて他の団体よりも制限されている。かかる制限は、その雇用条件が協約締結の余地を残さない状態で定められる公務員の場合には理解できるものである。公権力の機関として行動する公務員に対して、公務員規則、法令又は裁判所の決定によつてストライキに参加することができないとする制度についても同様である。」(前記報告書六六項)とし、さらに「公権力の名において行動する公務員以外の労働者によるストライキ禁止の問題は、しばしば複雑かつデリケートな問題を提起するのであつて、このようなストライキ禁止は八七号条約八条二項に反する可能性がある。それ故、一定の労働者がストライキを禁止されるすべての場合においては、これらの労働者を保護するため適切な保障を与えることが必要である。」(前記報告書六八項)旨の見解を夫々公にしている。また、わが国に関する第六〇号事案において、結社の自由委員会は一般公務員の争議権につき、「法定の雇用条件を享受する公務員は大多数の国においてはその雇用を律する法令によつて通常ストライキ権を否認されており、この点についてはこれ以上考察を加える理由はないと考える。」としてこれを問題としていないのである。以上のような見解は、既に右八七号条約の基本原則を具体化したところのILO九八号条約(団結権及び団体交渉権についての原則の適用に関する条約)第六条において、「この条約は、国の行政に従事する公務員の地位を取り扱うものでなく、また、その権利又は分限に影響を及ぼすものと解してはならない。」との規定にも照応するものと考えられるのである。

以上要するに、国の行政に従事する公務員に対して争議権を保障すべきかどうかについては、ILO八七号条約の直接関知するところではなく、またこれを保障すべきことが、国際社会において一般に承認され法的確信にまで高められた事項であるということもできない。

(二)  ILO一〇五号条約(強制労働廃止に関する条約)は、わが国において未だ批准していないが、さらに進んでその内容についてみるに、同条約はその第一条において、「この条約を批准する国際労働機関の各加盟国は、次に掲げる手段、制裁又は方法としてのすべての強制労働を禁止し、かつ、これを利用しないことを約束する。」とし、その一として「同盟罷業に参加したことに対する制裁」を掲げている、(D項)。しかしながら、一九六二年ILO条約及び勧告の適用に関する専門家委員会が提出した「一般的結論」によると、一定の事情の下では、違法なストライキ参加に対し刑罰を科することができるものとし、その事情として、(一)緊急事態において住民の全部又は一部の生存を危険ならしめるような不可欠な労務のストライキの場合、(二)純然たる軍事的性質の労務の場合、(三)一般法上の違反者に対する刑務所労働の場合、(四)軽易な部落の労務の場合、(五)スト開始前に必要な調停、仲裁等の手続に従わなかつた場合、(六)労使が仲裁に付することに同意した場合あるいは組合が仲裁制度等についての利益をうるためスト権を放棄した場合、(七)不可欠のサービスの場合を列挙しているのである。ILO一〇五号条約の解釈、適用については僅に前記の「一般的結論」が参考資料として存するのみであると言つても過言ではなく、これによつても、右に掲げられた諸類型の具体的解釈、適用については現在決して明確となつているわけでなく、その見解は今後の検討、運用によつて確定されて行くものと考えられる。のみならず、ILOにおいても右条約一条(D)項の解釈として、特殊な場合には争議行為自体を処罰しても同条項に違反しないとみていることも留意されなければならない。しからば、わが国家公務員法が争議行為又は怠業的行為を遂行するにつき、その遂行を共謀し、そそのかし若くはあおり、これらの行為を企てた者に対して刑罰を科することを以て、ただちにILO一〇五号条約に違反すると断定すべき充分な理由はないものといわざるをえない。

右のとおりであるから、国家公務員法一一〇条一項一七号九八条五項の各規定はILO八七号条約、一〇五号条約に違反するものということはできず、従つてまた憲法九八条二項に違反するものでない

五  国家公務員法一一〇条一項一七号と憲法三一条――あおりの解釈と適用――

憲法三一条は、「何人も法律の定める手続によらなければその生命若くは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」ことを保障しているところであるが、右はその立法上の沿革や趣旨等に照らし、刑事手続の適法性、正当性のみならず、刑事実体法における明確性と合理性をも要請していることが明らかである。

(一)  国家公務員法一一〇条一項一七号の規定の明確性と「あおり」の解釈及び適用について

国家公務員法一一〇条一項一七号は、「何人たるを問わず第九八条五項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、若くはあおり、又はこれらの行為を企てた者」に対して刑罰を科することを定めているが、差し当り、本件の訴因となつている「あおり」について、これとは近接した概念と思われる「そそのかし」と対比しながら考察することとする。

ところで、右規定にいう「あおり」とは、国家公務員法九八条五項前段所定の違法行為を実行させる目的をもつて、(文書もしくは図画又は言動により)人に対しその行為を実行する決意を生ぜしめ、または、すでに生じている決意を助長するような勢のある刺激を与えることをいい(最高裁判所昭和三七年二月二一日大法廷判決参照)、また、「そそのかし」とは、右違法行為を実行させる目的をもつて、人に対しその行為を実行する決意をあらたに生じさせるに足る慫慂行為をすることをいい(最高裁判所昭和二九年四月二七日第三小法廷判決参照)、いずれも、相手方において、現実に違法行為への決意を生じ、又はすでに生じていた決意を助長させるような結果が出たかどうかを問わないと解するのが相当である。そうすると、すでにある違法行為の実行を決意している者のみに対しては、抑々「そそのかし」罪の成立を認める余地がないわけであるから、その限りにおいて「あおり」と「そそのかし」との間に明らかな区別の標準が立つことになるが、右「あおり」の定義中前段(教唆的あおり)の場合と「そそのかし」とは、ともに、相手方に対しある違法行為を実行することの決意をあらたに生ぜしめるに足る程度の心理的な働きかけをなす点においては異るところがないので、その区別が極めて微妙且つ困難であることは否定できない。元来、国家公務員法一一〇条一項一七号の規定は、国家公務員が同法九八条五項前段所定の行為を遂行するにつき、通常これを誘発し先導し、助勢するおそれがあると認められるような行為に可罰性を認め、これを類型化したものであることや、それらの行為の間には可罰性の程度の差を設けていないこと等からみて、「あおり」と「そそのかし」との区別の基準としても、相手方に及ぼすべき違法行為への心理的働きかけ、影響力の強弱の程度に求めるのは相当でなく、むしろ、主として心理的働きかけ行為自体の態様に求める、――すなわち、「そそのかし」は主として人の精神作用のうちの理性的方面に訴えて違法行為の実行を決意させるような慫慂行為を、「あおり」は主として感情的、情緒的方面に訴えて違法行為の実行を決意させるような慫慂行為を夫々指称するものと解するのが相当である。(しかしながら、実際には右両者のいずれとも決し難い場合とか、両者の要素が重畳するような場合も少くないことが十分予想されるところであつて、そのような場合にも強いてそのいずれかを認定するのは妥当ではなく、「あおり及びそそのかしの包括一罪」として律するのが妥当と思われるが、それは事実認定ないし法律適用の問題である。)

以上、国家公務員法一一〇条一項一七号の「あおり」罪の規定については、その解釈、適用が困難であることは否めないがそうであるからといつて規定自体が憲法三一条の要請する程度の明確性を欠く無効なものと云うことはできない。

(二)  「あおり」罪の本件に対する適用について

そこで、被告人らの本件所為が検察官の主張するように「あおり」に該当するかどうかについて検討する。一般に、ある行為が「あおり」ないし「そそのかし」に該当する刺激的行為であるかどうかの認定は、当該行為自体の外観内容その他の徴表のみによつて定められるべきではなく、さらに行為者の立場、相手方の態度、行為時における争議行為へのもり上りムード等の一切の客観的、背景的事情との相関関係において判断、決定せられるべきものである。これを本件についてみるに、長崎統計調査事務所において行われた前後一〇日間に亙る坐りこみが、その目的がどうであれ、国家公務員法一一〇条一項一七号(同法九八条五項前段)にいう「同盟罷業」に当ることは明らかであり、被告人両名が共謀の上右事務所職員に対し坐りこみを実施、継続させる目的をもつて行つた言動ないし指示は既に判示認定のとおりである。ところで、これらの言動ないし指示自体についてみれば、それらは必ずしも相手方の理性もしくは感情に訴えて奮起させるような刺激的なものではなかつたと言えるかも知れない。しかしながら、それらの指示ないし言動は組合指令という権威づけられた方式において、あるいは被告人上野、同今村の組合における指導的地位を背景としてなされたものであるが故に持つところの、組合員に対する事実上の強い拘束力ないし指導統率力のために、それらが、組合員各自の心理作用、意思決定に及ぼす影響力の大きさは、理性及び感情の両面に亙つて、一般組合員や第三者のそれとは比較しうべくもなかつたと云わなければならず、現に本件の坐りこみが被告人両名の一〇月一二日の職場大会における右言動ないし指示によつてスタートしたものであることは動かし難い事実である。それは、右大会の席上、全職員に対し、県本部執行委員会を代表する被告人上野と本件分会執行委員長としての被告人今村が、それぞれ先の県本部執行委員会の決定に基くところの組合指令として伝達周知したことによるのである。勿論右大会に出席した約五〇名の組合員は、判示認定のとおり、それ迄約一ケ月間に亙る九・一宣言撤回要求の斗争態勢を維持し、当局と緊迫した拮抗状態の下に過ごして来た者達であつて、既に度重なる大会、委員会等での討議、決定によつて、交渉のなり行き如何によつては実力行使に入ることもありうることを予想していたのであるが、未だこの段階における組合員の実力行使への意思の集約は、その一面において平和的交渉による妥結に一縷の期待を残していたものと云わなければならず、かかる事情の下において発出せられた被告人両名の前記のような言動、指示は、それ自体なんら激越、刺戟的なものでなくとも、組合員に対し平和的妥結への期待の空しかつたことを知らせ、改めて、その要求を容れなかつた当局の態度に対し敵意と怒りを抱かしめて、坐りこみに突入する意思を決定的にし、また、平和的交渉による解決の絶望的であることを知り既にその決意をしていた組合員に対しては、いよいよ坐りこみへの決意を強固ならしめ、助長するに十分であつたと云わざるをえないのである。そしてまた、翌一三日から同月二四日まで坐りこみ中の全職員に対してなされた被告人両名の判示のような言動も、坐りこみ現場におけるそれぞれ最高責任者の一人としてなされた激励ないし坐りこみ継続方の慫慂行為であつて、既に坐りこみ実施中の職員に対し、さらに今後も坐りこみを継続実施することの決意を維持、助長させるに足るものであることは多くを論ずる必要がない。

もちろん、これら一連の行為は、被告人両名が団結の旗の下県本部執行委員会ないし中央本部の適式な決定、指令に従つた伝達的行為に過ぎなかつたか、または、組合役員としての任務上ごく当り前の行為と見られなくもないことは、弁護人ら主張のとおりである。しかしながら、既に説示したとおり、国家公務員が争議行為を行うことは違法として禁止せられ、そのことが憲法上も合法として容認せられるものであるから、このような違法行為の遂行に向けられた準備的、推進的行為――それが国家公務員法一一〇条一項一七号所定の行為に該当すると否とに拘らず――もまた法の保護が与えられず、その限りにおいて団結権の実効面が制約せらるる結果、その範囲外のものとしての評価を受けることは自然であり、従つてそれが組合組織の中で正当に決定せられたところに従つたとか、組合役員としてごく当り前のことをしたという理由によつて、それらの行為が受けるべき客観的法律的評価を免れることはできないと考えざるを得ないのである。

以上のとおりであるから、被告人両名の判示指示ないし言動は、これを包括して国家公務員法一一〇条一項一七号所定の「あおり」行為に該当するものと解するのが相当である。

(三)  国家公務員法一一〇条一項一七号の規定の合理性について

国家公務員法一一〇条一項一七号の規定が、本来争議行為=実行々為が不処罰とされているのに拘らず、その前段階的な共謀その他の行為を独立して処罰の対象としていることは、弁護人らの指摘するとおり、これまでの通常の刑罰体系からみて一見特殊かつ不合理の感がないわけでない。しかしながら、憲法上は、実行々為を処罰しない場合には常にその前段階的、周辺的行為も処罰の対象とならないとか、実行々為者に対する刑罰は常にその他の実行々為関与者のそれよりも重くなくてはならぬとするような規制があるわけではなく、その合理性が是認される限り、右いずれを罰し、いずれを重しとするかは立法政策の問題であると解される。ところで、元来国家公務員は争議行為が禁止される――これが憲法違反でないことは既に述べたとおりである。――のであるから、そのような違法行為やそれによつて生ずる有形無形の社会的国家的損失を抑制、阻止するため、その原動力となる行為をこそ禁止し処罰しようとすることは、理由のないことではない。ことに、国家公務員の場合争議行為を個々の参加者の労務放棄としてみればそれぞれの違法性は殆んど問題にならないのに対して、それが多数一体として組織的に行われる場合初めてその威力を発揮し、その反公共性、違法性を飛躍的に増大するものであることは明らかであつて、その功績と責任とは、主として、争議行為を企画し、立案し、教唆ないしせん動したいわば争議行為の指導的、推進的役割を演じた者にこそ帰属せしむべきものと考えられる。このような観点から、争議行為を企画、立案、教唆ないしせん動した者の違法性を個々の実行々為参加者のそれよりもはるかに重視し、これに可罰性を認めこれを以て足りるとした国家公務員法一一〇条一項一七号の規定は、十分にその合理性を首肯しうるところである。

そしてまた、右規定にいう「あおり」行為は、既に定議したとおり、実質的に争議行為そのものとは法律上も事実上も別異なものとして認定、評価すべきものであり、また、なしうるものであつて、このことは、集団的組織的行動としての争議行為には通常教唆ないしせん動的な言動が随伴するとしても、あるいは、その者が争議行為構成員の一人であるとしても、なんら影響を受けるべきものでない。

以上のとおりであるから、国家公務員法一一〇条一項一七号の規定は、憲法三一条に違反するものということはできない。

六  本件坐りこみにつき違法性阻却事由の有無その他の事情について

本件坐りこみが実施されるに至つた経緯については、既に認定したとおりであつて、これを要するに、新任所長早水信夫の労務管理に対する不満の念と、職場におけるいわゆる労働慣行を守り抜こうとする熱意とが、いわゆる九・一宣言の撤回要求闘争となり、それが爆発したものであるということができよう。

そこでまず、本件坐りこみがその目的において正当であつたかどうかについて考えるに、その直接かつ主要な目標が職員に対する旅費支給を従前どおり行わしめることに向けられていたことは明らかである。右の旅費は、「国家公務員等の旅費に関する法律」(以下旅費法と略称する。)に拠つて支給されるものであるが、同法は昭和三二年四月一日国家公務員の俸給表改訂に伴い改正せられ、その結果次のような事態をひき起したのである。すなわち、前掲証人江田虎臣、同佐田健裕、同田上弘、同川口秀夫の各証言記載等を総合すると、右旅費法改訂前は(当時の鉄道)二等旅費適用資格者であつた五級職以上七級職以下の者及び改正時二等旅費適用資格者となるべき者が、新俸給表により七等級に格付けされたため、三等旅費しか支給されないこととなり、その間の矛盾、不合理が指摘され、中央の労使間においても交渉が繰り返されたが、漸く同年九月、当局側において「三等旅費適用者にも運用面で二等旅費に近い金額を支給するように取扱う。」との要求を容れて事実上の了解事項が成立した。(なお旧七級職の職員のみについては、昭和三三年右旅費法再改正の析、国会において、新俸給表によつて七等級になつた場合でも二等旅費を支給する旨の附帯決議がなされている。)この協定に沿つて、各県本部では当局と交渉を行い、概ねその実現を見たが、既に認定したとおり、長崎県本部においても、当時の松浦所長と接渉して「旅費法による三等旅費適用者にも運用面でその差額を支給する」旨の承認を得、その後このような取扱が繰り返されて来たことが認められる。このようないきさつに照らすと、長崎県本部において、早水所長が職場における重要な勤務条件である右の取扱いを軽々に無視し、これを一挙に破棄しようとした態度や言動に対し、これに不懣の念を覚え、組合員の既得権益を一方的に侵害する不当なものとして抗議し、改めさせようとしたことは、その限りにおいて理解できるところであつて、強ちそのすべてを違法不当視することはできず、このことは、現に本件闘争の結末として、労使間において各中央の責任者の立合いの下に、「従前の労働慣行を引継ぎ、尊重して行くこと」等の合意が成立し、組合の要求が実質上全部容認されていることによつても明らかである。(押収してある確認書、交渉再開に当つて所長所信と題する書面各一通〔昭和三八年押合第二五号の五八、五九〕)

しかしながら、何人も国会において適式に成立した法律に反することを主張し、その実現のために行動することは、その動機、縁由が何であろうと法治国家においてはもはや許されるべきことではないのである。本件坐りこみが、前記のような旅費問題に関する諸事情の背景の下において行われなければならなかつたいきさつについては、或る程度諒とされるけれども、そこにおいて掲げられたスローガンの一つは九・一宣言を撤回させること――すなわち、旅費法に違反する取扱方を要求すること――にあつたことは既に明らかなところであるから、少くもその点において本件坐りこみは違法行為を目的として行われたものであるとの評価は遂にこれを拭い去ることはできないであろう。

ところがさらに、本件坐りこみの手段としての相当性、許容性について考えてみるに、組合が本件坐りこみを決行するまでに、内部で幾度か組合大会、委員会等を開いて議を重ね、当局に対しても数限りない接渉を繰り返して来たものであることはこれを認めるに吝かではないが、それが組合としてとるべき唯一且つ最後的手段であつたということは到底できないのである。すなわち、組合としては、坐りこみその他の実力行使に入ることがそれ自体国家公務員法に違反する違法行為であることを厳しく自戒した上、全農林の全国単一組合性や、それまでの旅費に関する取扱いが農林省の全国職場において略々共通しており右取扱いが全農林中央本部と農林省当局間の了解事項に由来していること即ち問題の全国帰一性に思いをいたし、例えば当局側を含めて中央からの責任ある者の仲介を経た強力且つ効果的接渉に重点を置くとか(この点について、昭和三六年一〇月七日富永中央執行委員と時を同じうして農林本省から担当係官が派遣できなかつたことは、本件事態の収拾の実際を考え合わせるときまことに遺憾であつたといわなければならない。)、或いは折れるべきは折れていわゆる「実をとる」方針を以て臨むなどの慎重な態度が期待できた筈である。本件坐りこみはそのような期待に反して敢行せられたばかりでなく、既に判示したとおりの、坐りこみの期間、規模ないし態様などに照らすと、到底その手段としての相当性、許容性を認めることはできない。

以上のとおりであるから、刑法上正当行為として容認されるべきものでないことは多言を要しない。

第五法令の適用及び情状

法律に照らすと、被告人両名の判示所為は包括して国家公務員法一一〇条一項一七号、刑法六〇条に該当するが、ここで被告人両名の情状についてみるに、本件争議行為は、既に明らかにしたとおり、国家公務員としての重大な義務に違背し、前後一〇日間(ただしそのうち二日は全農林中央本部の実施した全国統一闘争と重なる)、しかも統計調査事務所の全組合員を動員して敢行せられたものであつて、地域的にこそ一事務所内での出来事ではあつたけれども、その実質的規模は甚大なものがあり、これによつて国政の重要な一環である農林、水産関係の統計調査事務の円滑な運営を阻害し、また、公務員としての職員に寄せられた国民の信頼をそこない、その他、地域社会に与えた有形無形の影響はこれを見逃すことができない。このような争議行為に参加した個々の組合員に対しては、改めて法治国家における一市民としての遵法精神の覚醒が要求されなければならないが、それと同時に、これを立案し、決行し、推進するについて、それ相応の役割を演じた組合幹部――殊にその最高責任者的立場にあつた被告人両名の責任はこれを看過するわけにはいかない。(もつとも、本件争議行為に至る一連の闘争行為は、実質的にみて当初から大多数の組合員の意思に沿つたものであり、手続上も組合規約に則つた適式なものであつたことが認められるのであつて、検察官が主張するように組合幹部ないし被告人両名が専ら独走、牽引したものであると断定することは、本件の実態を見誤つた見解であり、また、本件闘争のいわば発起点となつたと見られる九・一宣言の発布は、被告人上野においてその原因をつくつたものであることを認めさせる証拠は存しない。)

他方、本件闘争ないし争議行為の遂行につき最大の誘因となつたものが、早水所長の就任以来久しきにわたる数々の組合を軽視した言動や、功をあせつて慎重さを欠いた労務管理行政にあつたことは否定することができず、これに拮抗して何度となく所長交渉を行い、議を重ね、遂に本件坐りこみに突入するに至つた、組合及び被告人らの立場は十分に理解できるところである。

以上のような事情と被告人各自の本件における役割、経歴、家族関係及び被告人らに加えられた行政処分の他一切の事情を考慮し、被告人両名につきそれぞれ所定刑中罰金刑を選択した上、被告人上野四郎を罰金五万円に、同今村美千典を罰金三万円に各処し、右罰金を完納しない場合は、刑法一八条により、いずれも金五百円を一日に換算した期間当該被告人を労役場に留置し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条に従い、被告人両名の連帯負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 渕上寿 右川亮平 桑原昭煕)

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